ガノンドロフ様大好き日記vol.70-73
躱す。
無骨な武具と洗練されきっていない剣筋を、一度に3矢番(つが)えられる射線を、ゴウと燃え来る火球を。
躱す。
まともに受けようなら腕は痺れ、当ったなら腕の1本は軽く飛ぶような攻勢を、半分スッキリして見にくい視界で。
躱す、
血を拭い、高揚に痛みを紛らわせて殺意を擦りあげる。薄く細く鋭く。
躱す、
少しでもズレれば死んでしまう修羅場に冷え、表面を抉られた額、その血潮の熱さに研ぎ澄ます。
猛攻を躱し、殺意を交わし。隙に切り込んで致命は寸前で避ける。白髪のライネルは盲いてなお手強く狡猾で、仕留めるチャンスをどうにも掴めずにいた。
赤髪の小柄なライネル2頭は熟練とまではいかずとも巧みな連携で押しつ押されつ、けれどけして隙が生まれないというわけでもないので弓の弦2本と四肢を計3本飛ばし、魔物との持久力の違いでやや劣勢というところ。
死を傍らに剣を振るい血に酔う行為は特有の興奮を俺の精神にもたらしたが、決め手にかけるこの状況をどうにかしなければいけないという焦燥感も背骨から身をジリジリ焼いていた。
赤いライネル2頭のうち脚だけを切り落とした方が僅かに腰を引き、間髪入れずに白髪を振り乱し剛躯が飛び込んでくる。
白髪のライネルがすり抜けざまに伸ばしてきた腕を反って躱し、脇腹を切り裂くように突き立てた刃は厚く強い皮肉と筋肉に阻まれ浅く傷跡を残すだけで終わる。これだからライネル退治は時間が掛かるのだ。それが3体…実質2体ぐらいだとしても、俺やガノンドロフ様以外ではとうに死んでいてもおかしくない。馬の機動力と獣の膂力、人の上肢を持つ魔物はおまけに火も吹くのだ。生半可な準備や実力では容易く屠られて終わるわけである。ましてやハイラル兵の練度なら…
(3ヶ月どころか半年は帰れなかったかもな、ウチの兵でも苦戦する)
白髪のライネルを躱す、風を切るライネルの剣の先も逸らす。まともに食らえば戦闘不能になってしまう、どれもが致命の一撃を躱して逸らして機をひたすらに待つ。
何も無い台地では月と雲の移ろいだけが時の指標になった。自身の体に細かな傷が増えるにつれて表面を抉られた額の傷はその存在をしかと主張する。痛みで動きを鈍らせることは無いよう鍛えてはいるが。汗と血でびっしりの額に中途な長さの横髪が張りついてくるのは、確かな不快感を与えた。
細い切り傷や髪ひと筋を伝ってだらだらと口や目の中に入ってくるので邪魔なのだ。歯も折れているので粘ついた血が奥から出てきて、それらが喉に落ちて噎せる前にジッと吸って吐き捨てた。
おどろおどろしく赤い月の下、おもむろに馬獣のうち1頭の体が傾いだ。大きな体躯に毒が回りきり、そうして、鼻息荒く事切れた。
同胞が前触れもなく息絶えたことに目の潰れた白髪のライネルも気付いたのか。死んだ赤髪のライネルのことを弔うように形容しがたい叫びをあげ、しかしその野太い慟哭は途中でふつりと途切れる。彼もまた、毒が回って死んだのだ。
――ようやく効いた。
ライネルの皮膚は厚く強靭で、体躯は見上げるほどに大きい。しかし切り裂けないほど硬い訳ではなく、モルドラジークほどに巨きな体を持つわけでもない。ただ、死なないようにするだけで獣狩りはできたのだ。今夜俺は勝つためではなく殺すためだけに来たのだから…。
最早生きているのは隻腕の赤いライネルばかりだ。顰めたような相貌をこと更厳しく戒め、真っ直ぐに敵を見据え唸っている。
ゲルドの毒は腐肉喰らいのハゲワシやハイエナさえ蝕み殺すほど強いため、普通の武器なら腐食され崩れてしまうがガノンドロフ様から賜ったこの剣は瘴気にすら耐えられるよう造られているのだ。剣に塗り込めてあった毒は俺でさえ寝込むほど強い。
1頭だけ残った馬獣も体内を蝕む毒に自身の命が残りすこしと気付いているようで、まさしく命を燃して果敢に攻め立て来るライネル。その一撃は風圧ですら肌を切り、ああ、ゾワリと肌が粟立つ。さっきよりもウンと強く脳の奥がチカチカ光り、今にも炎を吹き出さんとするその顔がよく見える。
ライネルの背中に登って、火の粉を微かに散らす口を顎を無理やりに閉じれば歯の隙間から溢れた火が俺の手を焼いた。暴れてやたらに跳ね回るのを脚だけでがっしりとしがみつき、切り落とした方の腕の付け根に狙いを定め深く刃を突き立てる。赤いライネルは未発達であるからなのだろうか白いライネルよりも幾らかは斬りやすかったので、骨に当たらないように角度をつけて差し込めば実にたやすく貫けた。これで終わりだ。
もがき苦しんで最期には仲間と同じく血の泡を噴いて死んだライネルの首を落とすのは随分骨が折れた。
もう空は朝の切れ端を広げはじめ、月はキャニオンの向こうへ落ちていったと気付いて――全身が疲労にびりびりと痺れる。常在戦場の心づもりが、少し気を抜いただけでこれだ。
「ガノンドロフ様に申し開きが出来ない…」
骨まで抜かれたまでとは言わずや、一線からふた月余り退いただけでこの体たらくか。しっかりしないと、と体重をかけてようやく白髪のライネルの首を切り分けられた。これの首級を以てライネル討伐のあかしとしよう。
3つともなれば相応に重く、右に左に身体を揺らして運ぶのも朝日が一条射し抜けたことで諦められた。近くの洞窟で休もう。重すぎると感じるのも、きっと、おれが疲れているからなのだ…。
首の無いライネル達の死体から1本、血の道を作って彼は崖下の洞窟に身を休めた。それは一見すると、まるで何者かがライネルの首を狩りとった後に身投げでもしたかのように奇妙な痕跡で、後にこの現場を1番初めに偵察したハイラルの兵は驚くことになる。
*
夢を、みた。
いつかの/みらいの/むかしの/すこし前の光景/夢想/追憶/幻覚だ。?
それは/それは/それは/それは
とても***く
俺の/僕の/私の/**の
悪夢で/幸福で/最悪で/歓喜でした。
例えば、いつかの日に毒を呑んだような。
例えば、初めて**を知った時のような。
例えば、遠乗りで**て*が時***な。
例*ば、**ン**フ様*******。
砂糖菓子を食べたときと水の中に頭を押さえつけられたときを合わせたような**でした。
おれは/それは、笑っている。これ以上ないと笑っている。******様の為になるならと笑っている。不純*の混ざった汚い硝子色の目で、*色の髪で、ああ、******の隣にいるには不釣り合いだろう
忌み子 半端*の バケモノ 奇妙*なま**ろい、半*の* ****
洞窟の反響のようにおれ/それの背後から、影から、中からゆらゆらと響きます。老婆の、ヴァー*の、幼子、の声が壺のうろに響いてゆらゆら揺れます。俺はそれを知覚している。出来ないはずなのに。
おれ/それはいつしか血塗れになっています。足の先まで黒くなって、目ばかりがぎょろぎょろと。髪はじっとりと血を吸って赤黒く染まる。
さいごに
おれは
*
目が覚める。そして悪夢は毒のせいかとかぶりを振って…血塗れなのはこっちも、と笑みが漏れた。
ガノンドロフ様の毒味も俺はしていたので粗方の毒には相当の耐性があるが、いかんせんライネル狩りに用いたものはやはり慣れない。この呪毒は効き目も強い分変な効果もあるのだ…例えば嘔吐が止まらない…例えば悪夢を見る…例えば暫く記憶を失う…呪術を用いているから、他の毒よりも苦しむのだ。
どのぐらい寝ていたのか、凝り固まった全身を伸ばせばかさぶたみたいに黒い血が剥がれていく。ライネルの首から流れていた血も止まっている。……洞窟の中の水溜まりは到底飲めるものではなくなっていて、浅慮を少し後悔してから洞窟を出た。
運が悪いことに今は砂漠も荒れている時期、ゲルドの方は砂嵐によってカラカラオアシスまでしかわからずたぶん流砂も増えているだろう。真っ直ぐ進むのは命とりだ、オアシスに寄って西の通路から地下街へ戻ろう。ライネルの首……は、…。
いま、俺の中には2つの選択肢があった。
ひとつ、カラカラオアシスの駐屯兵に首を預けいち早くガノンドロフ様のもとへ馳せ参ずる。
ひとつ、首を手土産にガノンドロフ様へと誅伐せしめた報告をする。
少し悩んで結論は直ぐに出た。もちろん、このライネルの首を手土産にガノンドロフ様へ報告に行くしかない!
3つ合わせると俺の半分の重さがあるのを全て背負うのは大層疲れるだろうが、ガノンドロフ様に褒められる(かもしれない)ことを考えればどんどん元気が湧いてきた。ガノンドロフ様、いま参じまする…!
後から考えると、その時の俺はまだすこし興奮に酔っていたのだと思う。休息を挟めど満身創痍のまま、汚れた姿をどうするのかということも考えられていなかった。
カラカラオアシスに着いた時、すわギブドかと槍を向けられ、そこでようやく俺は今の姿がガノンドロフ様の御前に出るには到底そぐわないひどい風体だと認識する。
「俺だ。ハイラルより一時帰還するついでにウメタケの馬獣を狩った、」
「…………は、あちらの桶のある方で身綺麗にした方がよろしいかと。首は?」
「いい、俺が直接持っていく。警備ご苦労」
どす黒く血で汚れた服は水につけるとじわ…と汚れが早速滲み出てきた。付けていた装飾を軽く磨いてから桶の中に漬けておいた服を踏んでもまったく染みはなくなる様子がない。薄くなったとしてもその存在をはっきりと主張するので、何度か水を入れ替えたところで無駄かと諦め干したが、まだ着れるか…?と全て見てもやはり全部一から仕立て直すほかにないようだった。気に入っていたのに…。
傷の抉れたところなどは念入りにすすぎ、髪の根元まで染みこびりついた血をゆっくり剥がしていけばギブドと間違えられるまではないぐらいになった。水に浸かるのはやはり気持ちよく、今になってじんじんと存在を主張する細かな傷を冷やすのにうってつけだ。もしかして、峡谷を下ってオアシスに来るまで魔物に襲われなかったのは全身の血汚れとライネルの首があったからか?単身で強行したにしてはシビレリザルフォスやキースが襲ってこなかったと思っていたんだ。
洞窟で休んだとはいえ、ゲルドキャニオンからカラカラオアシスまでは昼夜通し通しで歩かなければならないので、張っていた緊張が緩みはじめて思考が散逸していく。ヴァーイどもの喧騒も遠く、火照った身体を水がひんやりと宥めてくれる。
ぼんやり岩に背を預けて休んでいると、音もなく顔の横に割られたヒンヤリメロンが浮かべられた。そして誰とも知らぬ指でつつかれ、俺の顔にぶつかって少し離れる。食えということか。
「有難くいただく。なにぶん疲れているところだ、助かった。」
後ろ、すこし離れたところで木が少し揺れる音。気配も少し離れて、それから俺と同じくヒンヤリメロンを食べる音。
そういえばやけに静かになったと顔をあげれば、向こう岸にいる兵たちは目を見開いて俺の後ろを見ている。ここの兵長は俺に何やら目配せ、を………待て、何だ。唐突に、ありえないかもしれない事が脳裏によぎった。わざわざ声をかけず、目配せ?ヒンヤリメロンと…先ほどの喧騒。点と点が像を結んで、もしかしたらという予想で心臓がギシギシ鳴りはじめる。もしかして、もしかしてだが…。
(我ながら)勢いよく振り返ると、俺を見下ろし木に背を預けてはヒンヤリメロンを食べる ガ ノ ン ド ロ フ 様。
「ッ……誠に申し訳ございませんガノンドロフ様!貴方様がよもや此処にいらっしゃるとは思わず粗野な言葉遣いを晒してしまいました、恥晒しにございます…」
直ぐにオアシスから出たそのままの姿で跪き頭をよりおし下げようとする俺をガノンドロフ様は先ず服を着ろと止める。それはそうだ。どのぐらい慌てているのか。
「御前よりひとたび退散仕ります」
「ああ。クク、ヒンヤリメロンは美味いだろう」
「いえやはり俺はビリビリフルーツの方が美味いかと思います」
…
……
「ただいま戻りました。こちらをどうぞ」
「ほう?」
「ヤシの実を一部くり抜き麦わらの筒を差しました。飲みやすくお手元も汚しません。」
北西の方、鳥人の棲むヘブラではタバンタ小麦がよく採れ、ハイラル城では砂糖も使った贅沢な菓子が時たま補佐役から届けられていた。たまの宴では麦酒が振る舞われ、蜂蜜酒や果実酒と肩を並べて飲み物には麦わらの筒が差してあり、交易が活発だからこそ得られるものもあるのだなと感心したものだ。実際、書を読んだり武具の手入れをする時も片手間に、あまり零す必要がなく飲めるのはとても楽だった。
なのでどうせならばと麦わらを2本、ヤシの実を落とすついでに貰ってきたのだ。彼の方はひとつ頷いて俺の方を見遣る。報告をしろということだ。
「申しあげます。ウメタケ台地に出没する馬獣ライネルの討伐を請け、ゲルドへ一時帰還を果させて戴き、…」
日差しのように鋭い眼差しは俺の後ろにあるだろうライネルの首級3つに注がれる。
「――熱き風となりて、御身に死を運びに参りました。」
「よく、帰った。」