ガノンドロフ様大好き日記vol.74
それだけを言って、ふつりと糸が切れたようにその場にくずおれたらしい。
ということをコウメから聞いた。俺はまる3日ほど、途中ガノンドロフ様が声をかけても(!)起きなかったそうだ。ガノンドロフ様にお手を煩わせておいてその御言葉を聴きもせず惰眠を貪るだけとはなんたる不忠義者だ、本当に側近なのか。(実のところ、俺は未だに夢じゃないかしらとすら少し思っている。あまりに都合がよすぎる。)
地下街の少し冷えて湿り気のある空気を吸い込んで、親しみのある気候に俺はまず「ガノンドロフ様のお召し物と朝餉の用意は…」と呟いたらしく、起きてから重湯、果実煮込み、焼きケモノ肉と料理をやたらめったらに平らげている最中失笑混じりにコウメにからかわれた。
何をしても…それこそ、頭のすぐ近くでゲルドの魔笛(モルドラジークを調律する時に用いたものだ)を吹いたり 寝ている間に口に切り分けたビリビリフルーツを入れたり(しっかり噛んで飲み込んでいたそうだ) めちゃくちゃ沁みるけどとてもよく効く軟膏を傷に塗りこんでいたりをしても起きなかったことを伝えられ、いくら目付け役だったからといってやっていい事と悪い事があるだろ…と電気の実を薄くスライスしたものを食べながら思った。
基本的に、特殊な嗜好品を除いて、俺はさして味には頓着しないタチではあるのだがビリビリフルーツと電気の実は数少ない好物だ。唯一の難点は一緒くたに食べるとまるで泥の塊でも食べているかのように感じるところだけ。耐電性と帯電性が反発して味や風味がかき消えるのだろうか、でもこの前は比率を7対3にしたら電気の実だけサボテンの葉のような…ザラついた砂の舌触りでなくすこし瑞々しさを残した、砂まみれの果物のようになったからいつかうまくやれると思う。
電気の実はふつう発せられる電気を用いて速やかに敵を制圧するのに使われる。しかしある年の演習、支援物資を護送するキャラバンが魔物に襲われ部隊全体に行き渡るほどの食料がなかったときに耐えかねて齧ったら案外イケたのだ。以来ビリビリフルーツと並んで相当に好んでいる。薄めの皮にシャリシャリとした果肉が詰まり、落雷のような筋のあたりを齧るとビリビリと強く痺れるほどの酸味。昔は痛みを紛らわせるために出産の時妊婦の口に詰めていたらしいが、薄くスライスするとピリピリと心地よい刺激で、俺は特に果実酒やケモノ肉と併せて食べるのが好きだ。
机の上を見ると少人数での宴会でも開いたのかというほどに皿が詰まれていて、そしてそれらはどうやら全て俺が食べきったものらしかった。
「寝起きによく食べられますな、私ァとても…」
「そうか。ガノンドロフ様の傍にいま誰が仕えている?」
「アンタが思ったより仕事を抱えてたから業務引き継ぎに手一杯だよ、再配分からせにゃアならんし未だ終わってないね」
「……………………こうしちゃいられない、俺の服は?自室にまだ?」
「寝ても起きてもやかましいね、まだ置いてある。行くなら早く行きな、ガノンドロフ様も目が覚めたら来るように言って…」
コウメが話す途中で彼は素早く立ち上がりいち早く自室に向かわんと駆け出した。彼女はのっぺりとした仮面の下で片眉を跳ね上げ、そして、ほんとうに変わらないね…と下瞼も持ち上げた。
「もう行ったか。ガノンドロフ様の事となるとせっかちなのは変わらない」
ゲルドの街には地下街があり、有事の際や砂嵐がしばらく続くような時に住民はみなひんやりと水路の通る地下街へ避難していた。共用スペースで寝泊まりをすることにはなるがヴァーイ達はもう慣れたもので、家の窓や扉をしっかり塞いでから避難するけれど…宮殿はさすがに全ての窓や扉を塞ぎきることは出来ないのでそのままにして避難する。砂嵐が消えたあとは掃除がひどく大変だ。
2ヶ月と少しぶりに帰った私室は日があまり入らない造りにしてあるというのに砂まみれだった。棚の奥まで砂が入っている…、引き出しの中にすら一握の砂。今巻いている砂嵐はどうやら1週間やそこらでは済まないほど続いているらしい。ふと気になって、ノートを隠しているベッドの下を覗けば案の定まだ残ったままの…大量に吹き込んだ砂の中に埋もれた例のノート。やはり…俺自身の手でケリをつけるしかないか…、『ガノンドロフ様大好き日記vol.66』とその中身に思い馳せ燃やす必要性を強く感じた。
突然、弾かれたように彼は不揃いな頭髪を揺らして窓から身を乗り出す。
微かな翅音。砂嵐の中、キィ…、と今は何があっても人が居ないと断言できる建造区域からモスギブドの翅同士が擦れる音が聞こえた気がする。モスギブドだけならまだいい、問題はギブドだ。モスギブドが1匹2匹程度なら迷い込んだか斥候だからさしたる脅威ではない。しかし、ギブドの巣が街の近くに発生したというなら一大事で あいつらは地を素早く這い回るから地下街にまで入り込んでくる可能性が高いのだ。幸い民は砂嵐で避難しているから多少建物が荒れるとしても安全ではあるが、複数箇所から同時に地下へ侵入されるとその安全すら危うくなる。地下街の警護は経験が浅い新兵や訓練兵が多いためだ。杞憂ならいいが、念の為、ポーチも腰に巻いて窓から飛び出した。
壁を駆け下りて市街の上を走る、砂に目を細め遠目ながらに建設途中の施設の奥を見ると上部が張り出た特有のかたち。最悪の予想が的中してしまった。
後ろに流した袖を翻し小路へ降りるとさっそく地を這い回る赤茶けた塊が目に入る。私室から引っ掴んできた獲物はよく手に馴染み、ギブドの背に向かって打てば刺さったところから白く色が抜け、そうして脆くなった所を俺は踏み崩す。トパーズをあしらった直刃のナイフは職人によって鍛え上げられた業物で、乾いて硬化したギブドの表皮も容易く貫いてくれる。
道中出くわしたギブドを同じように突き踏み崩してその多さに辟易した。思ったよりも数が多い。モスギブドの姿も見え始め、矢筒に差した雷の矢はほんとうに足りるのか…?すこしの不安が心に曇って立ち込める。いや、しかし、ガノンドロフ様の御手を煩わせるわけにはいかないのだ。(ゲルドでは今くらいの時期は精鋭兵が遠征に出ている時期なので、ギブドの巣に単身で対処するしかない上に実力が無いと厳しい)
太い幹に張り出た笠、キノコと木を混ぜたような姿はさながら砂漠の木。ひとつある瘤は毒々しく光って空いた穴から巣の足下にぼとぼととギブドを産み落している。ギブドはそこそこ手強い。というか面倒くさい。その割に1匹いれば数匹はオマケでいるようなものだから大概コックローチのように疎まれているし、俺もシビレリザルフォスやボコブリンの群れとギブドの群れがあったら迷いなくボコブリン達の群れを選ぶ。
カッ。振りあげたナイフが弾かれ、刀身に刻まれた雷の力を増幅する紋様からはまさに今ちかちかと光が失われていく。
(待ってくれ、今か!?)
確かに、手入れは暫く出来ていなかったが…!まさか囲まれている真っ只中に雷の力が切れるとは思っていなかった、最悪だ!
前方にギブドが3匹、俺の足に1匹しがみついていてモスギブドも飛んでくるのが見える。不幸中の幸いといえば巣は非活性化状態になったからしばらくは増援がないことぐらいだがそれまでにこのギブドを引き剥せるだろうか。コイツらは骨に干し肉が張り付いたような奇妙な姿を持つが、如何せん固いのだ。地表にいることもあるが流砂の中で捕まると最悪で、ハサミ状の顎で死んでもがっちり食らいついてくるし、火か雷かの力を帯びた特殊な攻撃でしか怯まない。雷の矢!は…あと3本、この場を切り抜けたとしても絶対的に数が足りない。
バクダン花や炎の矢だと俺も巻き添えになってしまう…ポーチの底まで漁って触れたもので閃く。俺はギブドの群れへ足に取りついたギブドも引きずって走り、肉薄して、そして地面に電気の実を叩きつけた。
電気の実の帯電性は強い衝撃を受ければ受けるほど強まり、皮が破けることで炸裂するのである。感電したギブド達はばったりと倒れこんで身動きもしない。白化し脆くなったその身体を、首の辺りを特に入念に踏み崩す。
上下にゆっくりと動いては迫ってくるモスギブドも脳天を穿って墜落せしめた。思わず緊張していた身体を意識して脱力させ、無意識に留めていた息を細く吐く。
(…ビリビリフルーツをさして味わえなかった…)
なんてことはない、ただ、電気の実が弾ける直前にビリビリフルーツを飲み込んだだけだ。本来、1つぽっち食べても腹が満たされるだけだが直前の暴飲暴食でビリビリフルーツも食べていたから一瞬だけ帯電性を得た。のでこうして一網打尽に出来たのだ。食後にすぐ動きすぎて若干苦しい。
ギブドの巣というのは活性化状態と非活性化状態が何らかのトリガーによって切り替わる。キッカケは分からないが、幹の半ばに膨らんだ瘤の状態で見分けることが可能だ。ナイフは未だウンともスンとも光らない、活性化状態になったら巣からギブドが落ちてくる前に何としても破壊しなければいけないのである。ジリジリと背を焼くのは焦りかそれとも翳りない太陽の光線か。
瘤から発せられる光が少しずつ強くなっていく、瘤自体も脈動を打ち始め、そして俺はバクダン矢を番え、強弓を爪弾き構える。
狙いを定めて。
完全に切り替わった時を狙って、
そして、射る。
矢が瘤に吸い込まれる寸前、禍々しい瘴気を纏った赤雷が走って。遅れて轟音、要を失った事で緩やかに崩れるはずの砂の木は爆風の中に飛び散った。
俺は振り返る。振り返って、薄鈍い砂空を見る。
鮮血のように目を引くガノンドロフ様の髪が揺れ、土壁の奥に消えていく。
それを追うようにして、共に宮殿へと急ぎ戻った。
「遅れ罷り越しました。」
砂を器1杯飲んだぐらいに俺は居心地が悪く、恥じ入ることは何ひとつないというのに邪心が影に『ガノンドロフ様に負担をかけたか』と囁いている。いや、おれはガノンドロフ様の側近として成すべきことを成しただけだのに。心なしか喉に空気ばかりが張りついて仕方なかった。
視界の端の赤は不均衡に目の前の絨毯を彩り、俺はガノンドロフ様のことを信じきることができない自分自身にとても失望していた。この涜心(とくしん)よ、荒野をさまよう悪霊が額の傷から入ってきたのか。(ゲルドには呪術・邪術が古くから伝わっていて、その中でも悪霊を傷から呼びこみ身体を勝手に操られるという脅し文句を彼は幼いころ恐れていた)
「頭も随分と冷めたようだな、面を上げろ」
「は、ガノンドロフ様は益々ご壮健であらせられるご様子。……何よりでございます…」
真っ直ぐ仰ぎ見るなら正面から見据えるガノンドロフ様の眼光が俺の頭を貫く。悟りを得た、となぜか腑に落ちて、静かに聞こえていた邪な声なぞすっかり霧散した。
――ああ、そうだな。
「――ガノンドロフ様、手合わせをお願いしたく。」