暗転
「は!?…ゲルドに帰れない?なんで!?」
「…そうは言われましてもぉ、あたし知りませんのでぇ……!」
「分かってる!………はァ……お前に怒鳴った訳ではないよ。もう下がれ、…」
ハイラル王国に駐在するよう言われている俺だが、ガノンドロフ様にお会いしたい!と苦悩している姿を見兼ねたのか最近ようやく一時帰還の許可が降りたのだ。
パ、と手を差し出せば補佐役は無言で報告書を渡してきた。流石、分かってる。慰めでもされたら今すぐゲルドに走っていくところだった。損害報告、補填物資、被害にあった物の数…今の俺にとってどうでもいいことは頭の片隅に置いておく。重要なのはここだけだ。
「馬獣の群れ?ウメタケ台地にか」
「等級は赤2、白1と報告を受けています。崖を降り来る為ここ暫くゲルドとの流通が滞っています。」
「お前の見立てではいつ頃通れるようになると思う。考えてみろ」
ゲルドキャニオンに唯一あるなだらかな平地、向かいのゲルド山から流れる滝の近くに半獣半馬ライネルが棲みついた。ゲルドとハイラルを繋ぐ道は峡谷を縫う一本のみ、件の群れが居る限り通れはしないだろう。
鋭い角と人獣のような半身、馬の四つ足は純然たる脅威だ。遠くにいても見つかれば弓で射られ、近寄れば見上げるほどの巨体が武器を持って襲ってくる。
倒すにも逃げるにも困難。まして貨物まで抱えていれば生きて帰れるか、……死傷者8名。
「…ひと月と少しでしょうか。編隊派遣に半月、討伐し地形や安全の確認などが終わるのはその位かと思いますが」
「…赤2青1ならその位だな。白の強さは一線を画す、おまけにここの兵士の練度は我らの兵より低い。ゲルドの兵で勘案していたろう。俺が見るに…三月はかかるぞ」
魔物の強さはピンからキリまで。ボコブリンやチュチュ、色々居るが最も面倒なのはライネルだ。色でおおよその強さが測れて、ライネルは赤青白と順に手強くなる。白は随分前に1度しか戦ったことはないが…相当に手強かった。赤でさえ、班を組んで討伐させると1人は必ず重傷者が出るぐらいだ。数が少ないのがせめてもの救いではあるけれどそれが此度は3頭。
大きくため息をつけば補佐役は気まずそうに眉を寄せた。ガノンドロフ様、ああガノンドロフ様、ガノンドロフ様。俺はひと時であっても貴方様にお会いしたく願います。3ヶ月は長すぎるけれどどうしようも無いよなぁ……………そこで突然、雷のように閃いた。そう!
「手を出せ」
「はい。…………えっ、ハ!?」
「後は任せたぞゲルド使節代理。しばらくは戻らん。」
「えっ、は、…はい?!」
承諾ヨシ!行くぞ~~!!
補佐役に使節の証である青銅印を渡してから必要最低限のもの、つまり剣と弓を提げいざライネル討伐!障害があるなら乗り越えるより討滅した方が早いじゃないかと城を出ようとしたところに丁度、散歩中のラウルとソニア、ゼルダが居た。不意の遭遇に嫌悪が顔をに出てしまったがすぐに取り繕えたと信じたい。おざなりに頭を下げ通り過ぎようとしたけれど、不運なことにゼルダに気付かれた。
「ゼルダ?どうかしたのか」
「いえ、そういう訳では…。」
「お待ちください!せめて各所に引継ぎの連絡だけでも…!」
「げ」
ラウルは追いついてきた補佐役と、俺とを交互に見てようやく思い至ったようだった。
「そなた、ゲルドからの使節か」
「いえ違います」
「!?首長…!?」
「今はこれが使節代理で、俺はただの…」
底意地の悪そうな顔のラウルと鷹揚としたソニア、…その後ろに居る先程まで並んで歩いていたゼルダが俺の目をジッと見ている。
「ただの…」
心なしか不安そうに見える。
「………ゼルダ姫さまの、知り合いです」
「そうか。わざわざ武器を持って?」
「少し出ようかと。待つほか無しというのは」
「そうか。引き留めたな、ゼルダの友人殿。行くがいい」
「ハア。…おい、俺はもう行くからしばらく頼んだ」
「どのぐらいですか!?」
「しばらくだ」
じろりと見下ろす碧の眼が気に食わない。内心舌を出して和やかに別れてから、なお追いすがろうとする補佐役の手を躱して走り出す。
今度こそ何もしがらみ無く向かうのはウメタケ台地。ライネルを倒しそのままゲルドに向かって、あわよくばガノンドロフ様に褒められたい!
それは流石に高望みし過ぎか?もしガノンドロフ様なら……、………。…どうするだろうかと少し考えてみたけれど、俺の頭で浮かぶようなことは過去のガノンドロフ様のパッチワークでしかない。まがい物だから考えるだけ意味の無いことと思い至る。そうだ、複数集まれば殺し合いが始まるほど闘争心が強いライネルがひとところになぜ3頭も集まっているのか。コタケはしっかりノートを燃やしただろうか。浮かんだいくつかの疑問、雑念は精霊の森を抜け台地から降りて…無心で走っているうちに風で流されていった。
*
ハイラル城から半日ほど走るとナボール山のふもとに着く。キャニオンの入口であり、曲がりくねった谷からナボール山の形に沿うようにして街道が引かれている。
今はライネルの出没によって街道が一部閉鎖されて通れないので商人や旅人、軍兵たちが一所に屯しているのが見えた。
山の中腹まで登ると辺りの空気は大分変わってきたのが分かる。黄土は固く、落ちてきたタンブルウィードが少し上で壁面に跳ねては俺のすぐ横を通り過ぎていった。月明かりだけを頼りに見上げる壁面は取っ掛りが少なく薄ぼんやりと照らされていた。
掴んでは、崩れて、登ってをカラクリのように繰り返す。鈍ら色の土とのっぺり落ちる黒い影をずっと見詰めていると過去のことばかりがぼうっと浮かんでくる。いやダメだ、昔の事ばかりなのはヴァーバ達の嫌なとこだから。真似じゃなくて、ええと、そう。今、俺がするのはライネル退治。俺はライネルを斃して、ガノンドロフ様のもとに、ゲルドに帰る!
崖を山と言ってもいいかは分らないが、山登りでは気を抜くと落ちて死ぬ。ぼんやり過去に耽っているとあっという間に走馬灯だ。口を引き結んで先をと見上げるともう、少しだけだった。
翌朝。時の神殿が鳴らす鐘が小さく聞こえ、木の枝同士の間で身体を起こす。よほど疲れていたのかと強ばった節々を伸ばし、枝の隙間からウメタケ台地の方を窺い見れば遠目ながらにライネルの姿が見えた。等級は報告のとおり赤赤白。
ただ――
(赤は発達途中、か?…なるほど。)
見間違えでなければふた回りほど小さい体躯に群れでいる理由が分かる。先天的な不具を持つ魔物は初めて見た、あるいは魔物の…子供?
嫌な予感がして頭を引っ込めれば、すぐ近くの葉が数枚ほど赤いライネルの射た矢に貫かれて落ちた。低木の中に何かが隠れている事に勘づいたのかそれとも偶然か、先程まで俺がぶら下がっていた丁度頭の位置に焦げたような跡を残して拳大の穴が生まれている。燃えてはいないから雷の矢だ。しばらく待っても二の矢は来なかったので、焦げて空いた隙間からライネル達が居た辺りを覗くと姿は見えずどこかへ行ったようだった。
どうしようか。悩んで、悩んで――夜まで待った。
ライネルは立ったまま寝ることを初めて知る。仁王立ちに腕を組み、頭から上はぐったりと俯いているが時折少し身じろぎをした。俺は気配や呼吸を抑え、起こさないようとても慎重に近寄った。もちろん白髪のライネルの足元へと。
馬獣の体躯は見上げるほど高い上に俯いている、夜の闇よりグッと黒い影と量がある鬣は頭の位置をすっかり覆っていた。面倒だと内心毒づいて蹄を躱す、結局掠って血が出た、…魔物は寝相も悪いのか。
血の匂いに反応し白髪のライネルは頭を持ち上げ、辺りを見回して――俺の体はやばい、と総毛立つ。同時にチャンスだ!とも、熱された頭はジリジリ余韻を残して冷えていく。まだ飛びかかるな、大丈夫、機を先せ、目の奥がじんわりと開いた感覚と共にライネルの姿は克明に映った。
異形の輪郭は月光に赤く照らされ大地に黒々と影を落とす。
――その足下から、ひとつ剣閃が翻った。
真っ直ぐに馬獣ライネルの首を落とさんと迫る一閃はしかし途中で軌跡をズラすことになる。同族の形容しがたい壮絶な叫び声に何事かと覚醒した赤毛のライネル2頭は血涙を流し痛みに悶える白髪の仲間と、血の匂いをぷんと漂わせる人間に気付いた。敵だ。
「チ、不意討ちしたハズなんだが…」
目こそ潰したものの、ライネルが持つ刃のように端が研がれた盾で額を抉られてしまい前が見にくい。1歩2歩と後ろに退けば地には矢が突き刺さる、追って薙がれる大剣(というよりも取っ手のついた鉄の塊)を半歩で躱せば風圧で髪が乱れ、綺麗に揃った3頭ぶんの咆哮は熱気を纏って俺を通り過ぎていった。
「ガノンドロフ様が為、その素ッ首貰いうけよう」