ガノンドロフ様大好き日記vol.48-63



 砂に覆われた地は地平線まで続き、乾いた風砂は息づく生命を平等に覆い隠す。峡谷は彼方に聳え立って太陽がその赤々とした背の陰影を濃くしていた。
 厚く高く囲まれた壁の中、砂漠の街ゲルドで俺は産まれた。ヴォーイでもヴァーイでもない存在として。おまけに丸耳だったものだから母から赤子を取りあげたヴァーバはそのまま腰を抜かしたそうで…俺はそのまま忌み子として殺されるとこだったそうだ。
 なんせ俺は砂色の髪に白い肌を持っていたから。
 ヴァーイでない、もちろんヴォーイでもない、おまけに耳も尖っていないということでゲルド族の子ではないと静かに殺されようとしていた。
 それを当代の族長が預かり宮殿で俗世から隔離されて無事俺もこの歳まで生き延びることが出来た。上に、敬愛するガノンドロフ様の側仕えまで出来るんだから最初は恨んでいたけど今では母、ヴァーバ、俺のことをこのゲルドに産み落としてくれてありがとう…族長様、そしてこの街も俺をガノンドロフ様に出会えるまで育み生かしてくれてありがとう…と全力で感謝を捧げている。

 100年に1度しか生まれない王たる男児に俺みたいな中途半端を近付けても良いのかと意見もあったが俺は同世代より抜きん出て剣術も護衛術も卓越していたから(この街では強さこそが序列代わりである)、例え異物でも年が近い方がいいだろうとガノンドロフ様の護衛もとい僕にしてくれた。英断すぎる。
 さて、ガノンドロフ様はその才覚もめざましくあり軍略も武術も勉学も何もかもを上達していき手合わせも1週間にして俺は1本勝つことすら出来なくなった。
 このままでは俺は役立たずになって用無し、解雇、ガノンドロフ様にも見捨てられてしまう!迷走して変な事ばかりやっていた俺を見捨てずにいてくれた心と懐の広さも正に王たる器だと思う。
 そろそろガノンドロフ様大好きノートも50冊を越すところです。もし死んだ時は何も見ず燃やしてください、ガノンドロフ様には絶対見せないでください。
 いやちょっとなら見られてもいいかも。

 年を重ねる毎益々ご壮健になられるガノンドロフ様は初めて会った時より上背も筋肉もついてめちゃくちゃデカくなった。王たる風格も堂々としたもので、先日成人を経てようやく正式にこの街を統べるものとなったけれど正直遅すぎると思う。今までの比較的簡素な装いから、立場に相応しくなるよう着飾られた姿を見た時はあまりの神々しさに目が眩んで血圧が上がってドギマギしてしまい、俺はそのまま意識を失うことになってしまったのである。


「無事か」
「ヒュっ、ェ゛ホ、っァ゛ノンドロフ様゛」
「俺が来たからといってそう喜ぶな、噎せているではないか」

 自身の価値とその影響を理解している所も大変に好き。大きく厚く固い手のひらが俺の背を摩る。そら、と差し出され持ったコップに並々と水が注がれていく。砂漠の乾いた空気は水の循環する宮殿内でさほど意識したことは無い、が俺の口の中はもっと乾いていくばかりだ。
 時間の流れが嫌に遅く感じて、神経が張り詰め過敏になるのをどこか他人事のように感じていた。注がれた勢いでできる泡の弾ける音まで聞こえるようなぐらい、アレ、俺、ガノンドロフ様に世話を焼かれている?俺よりずっとゲルド族らしい高い鼻と、赤々とした髪を高く結わえた後ろ姿がゆっくり動くのを俺は見ている。
 もちろん現実逃避って言うのはわかってる。あああこれバレたら後で兵士長やらにどやされるよ、側仕えたる自覚はあるのか、ゲルドの兵たるもの常日頃から気を抜かずあるべし。今まで何度となく、飽きてもまだ言われることだ。
 ガノンドロフ様にグラスを差し出せと身振りで示されたのでその通りに差し出せば、赫々としてそれでいてなんかちょっと蠢いている…なにか…が無から生みだされ、ボタボタ落ちるからなみなみ注がれた水はグラスから零れていった。

「俺のようないち配下のことを労わってくださり、誠にありがとうございます。ところでこれはなんですか?川虫か何かでしょうか」
「瘴気だ。乾杯」

 チン、と色の付いたガラスは特有の少し浮いたような音を立てて…まあ今はその中身によって黒曜石より鈍く黒々としているが…、そのグラスの中でインクの様に昏く蠢くたぶん液体はこぽこぽと赤い泡が立ち上っては消えていた。乾杯。ガノンドロフ様に倣ったはいいがさすがにすぐ飲み干すのは無理だ。主に心の準備が。

「僭越ながら質問をよろしいですか。これを呑んだら俺はどうなるのでしょうか」
「俺の傍に居たくないと?」
「いいええ、これは貴方様のお側に俺が居たいという浅ましい欲からでございます」 「然らば呑め。俺の為に。」


 俺はひとつ息を吐いて、勢いのままに流し入れた。
 呑めと言われたなら躊躇いなく呑む。所詮その程度の準備でしかない。
 ガノンドロフ様はしばしば赤黒いモヤを操ってみせた。それは瘴気と呼ばれるべきものであり、彼の持つ魔力であり、魔を生み操り従えるための力で、ヒトに害するものでもあった。生気を奪うことでしか遺れないもの。
 王に相応しき力。
 それを操って見せてくれるガノンドロフ様は俺が瘴気のおどろおどろしさに惹かれていると思っていたけれど、瘴気の美しさより、それより俺はガノンドロフ様の愉しそうな姿のほうが好きだった。
 舌の上に乗るは激痛。目も眩むほどの鮮烈な痛みにグラスを落としそうになる、俺はその中身を咄嗟にひと息で呑み込んだ。強く握りしめたグラスは砕け俺の皮膚を裂き血が滴る。ガノンドロフ様は苦しむ俺を見ている。
 叫び出したい。吐き戻して、俺の腑を喰らい溶かすおぞましいものを今すぐに排除してしまいたい。生存本能はガンガンと頭の中で鳴って今すぐこのおぞましいものを内蔵をひっくり返してでも掻き出せ!と叫んでいる。身体が勝手に逆流されるものを無理やり飲み下して、無様に這い蹲る俺の姿をガノンドロフ様は見てくださっている。心臓が痛い。
 前に粗相をしたものがあった。ゲルド民族は未だ統一されておらず、この街に住む女のほか、砂漠の果てに隠遁するもの、峡谷の影に潜むものも居て、険しく厳しい砂岩の上に時折外の部族のものが干からびて死んでいたのも見たことがある。この大陸――ハイラルというそうだ――にはゲルドの他に鳥人リト、魚人ゾーラ、巨人ゴロン、小人ハイラルが住んでいると教育係は言っていた。
 その、影に潜むもの。先々代族長の血筋のものと姦通しガノンドロフ様を弑さんとしたものが居て、それの処刑には珍しくガノンドロフ様自身が手を下された。女の、赤い長髪を振り乱し瘴気を以て苦しみ死にゆく様を俺はガノンドロフ様の少し後ろで見ていた。
 俺の腑もあのように腐り萎えて黒く変色しているのだろうか?痛みによって千々に離散した意識の中途切れ途切れに思う。俺の心身は瘴気に苛まれ、悲鳴すら許されず激痛に引き千切られて明滅する意識とやけに響く拍動を僅かに留めて、それから俺の意識は途絶えている。







 瘴気を呑み、口から血の1滴すら零さず意識を失った側仕えを男は見遣った。細かく痙攣を起こし、玉のように脂汗をかいて悶えながらもやはり吐き出すことはない。よく出来るものだと思わず漏れて、案外に僕を買っていた事に気付く。
 これは与えられた時より従順であり、自分が言った事は何でもやった。
 血肉を分けた存在でさえ眉を動かすこともなかった彼のとても従順な様子がガノンドロフは時折気味悪く思えていたが、ある時『?ガノンドロフ様?大好きノート?Vol.27』と大きく書かれた彼のノートを流し見して以来、俺の為ならば奴隷よりもよく働く動機は純然たる好意からか、と頷けて(果たして好意が一体何処から来るものなのかはさておき)これまで以上によく扱き使ってやっていたのである。
 だからきっと、俺が言ったとおり呑み下すのだろうと分かっていた。けれど正常なヒトならば生理的な嫌悪感を催し、口に入れるどころか近づく事さえ拒否するであろう穢れの澱みを1滴たりとて余さずにいるまでとは思っていなかった。
 意識を失いながらも寝台の上で藻掻き苦しむ側仕えを、これ自身の部屋に運ぶよう言いつけた兵の血色はにわかに引いていて、僅かに怯えと不安が見えたために「死ぬことはない」と言えば安心したように確かな足取りで退出していった。瘴気はじき身体へと馴染むろう。
 土壁をくり抜き大きく開けた窓から遠くの砂漠にモルドラジークの群れが見え、熱い風はゲルドの新しき族長の髪を揺らし去る。

 赤土の峡谷の向う、ゲルドキャニオンを越してこの大陸の名を冠すハイラルがある。緑と生命に溢れ、草花は優しくそよぐ土地だ。なだらかな勾配の丘陵郡には力強く木々が根を張り、柔らかな陽光のもと思い思いに枝を伸ばし実をつけている。肥沃な大地では植物も動物も雨も自然も何もかもが生の息吹を誇っていた。風は鳥たちの唄と流れる雲を色付いた花々の香りと運び、流れる河はせせらぎを奏でる。
 生命が芽吹き育まれる地には全てがあった。
 遥かなるハイラル。
 広大な土地、悠々と流れる川。砂漠のものよりずっとぬるい陽射しと風に当たっていると自身まで温く弱くなりそうな程で嫌悪を覚えた。されどより憎悪を向けて止まないのはゾナウだ。神の末裔と名乗り憚らぬ人獣。ハイラル王国と付け国を興し、ゲルドのもとにも招聘の報が届いている。
 モルドラジークにはとうに芸を仕込んだ。後は機を待つ他にない。







 目が覚めたらガノンドロフ様の右腕になっていた件 #

 もちろん物理ではない。側近の意だ。
 でも俺がそうなるような日が来たなら今日のようにずっとガノンドロフ様に付きっきりで居られただろうと夢想し、なんなら昨日までの俺は来る今日のように側近としてお仕えする日を叶わじと歯噛みして枕を濡らしていたのだから過去の俺が知れば憤死するだろうと幾ばくか上の空でガノンドロフ様に連れ添ってはモルドラジーク達の最終調整に臨んでいた。
 俺の何倍何十倍もあるような大きいモルドラジークが右に左に急潜航、加速してから空中で1回転。
 俺が芸を仕込みました。
 本当は進めと号令をかけるだけで良いのだがつい…楽しくなっちゃってェ…。余計なことをしてしまったかと横目に見たガノンドロフ様は僅かに目を見開いていて、楽しんでくれているようであった。操るための笛を吹きながらも俺はとても嬉しくなってしまって、吹き込む息の調節をなんてことの無いよう誤魔化した。
 きっと俺以外であれば分からないだろうが俺はガノンドロフ様検定1級を持っているので分かる。瞳孔は17%散大し、瞼は0.23ミリも持ち上がっているのだから間違いない。
 群れの動きにつられ巻き上げられた砂塵は波のように強弱を持って吹き付けてくる。
 金の装飾がチャリ、と鳴るのが耳に残りガノンドロフ様の方を見た。金がより映えさせている血のように濃い緋はヴァーイの褪せたものよりもずうっと美しい。

 時間が少しでも引き伸ばされてくれれば、この瞬間を一生忘れないでいられるのにとガノンドロフ様の結わえられたなびく髪の1束1条さえも惜しんだ。
 俺なんかのものよりずっとゲルドらしく赤い髪と濃い肌は街のヴァーイらの持つ色から与えられる疎外感よりかは、むしろ畏敬の念を呼び起こす。ゲルド族の中では色が濃ければ、濃いほど尊ばれる風潮があって、そういったものも俺が忌まれる要因のひとつだったかもしれない。皆そっくり似たような高い鼻赤い髪濃い肌をわざわざ競っていたけれど、その差異を解すことは出来なかったものだから。
 しかしガノンドロフ様の持つ色は俺もひと目で解るほどにずっと色濃いものだから、やはり、ゲルドのみならず世界で最も尊い御方であるのだと強く思う。そしてガノンドロフ様の持つ血潮のような色を俺自身も得られたという幸甚を噛みしめて、それでもまだ堪らなかった。
 そう、先日ガノンドロフ様の手ずから賜った瘴気を取り込んだ折に俺の身体も変質したのである。
 確かに自身の中身…内臓は瘴気によって爛れているらしく、じくじくと膿んだような痛みがずっとあり今は気力だけで動かしていると伝えた時ガノンドロフ様は微かに目を細めた。これは呆れと嘲笑と…微かな安堵だ。  髪の色が赤くなっている事はすれ違った兵士から声をかけられようやく気付いた。
 こめかみの辺りからひと筋。出血でもしているのか?と指され、持ち上げて見ると視界の端が赤くなった。自分ひとりやガノンドロフ様の前で分からなくて良かったと、心の底から思って「染めた」とだけ伝えた。気持ちの悪い反応を取り繕えたからだ。
 ひとりならまだしも、ガノンドロフ様の前だったとしたらまた気絶してしまう。俺は、ただ髪が赤くなったというよりも、ガノンドロフ様の色を分けて頂けたと勝手に思っていて。頭の中でぐるぐる思考が回っている。それってつまり、ガノンドロフ様と同じ色が俺の髪にあるって事で。今だって新鮮に高揚を覚える。

「もう良い、」
「は。」

 思考がぐるぐる8の字を描いていたとしてもガノンドロフ様の言葉を聞き逃すことはありえない。モルドラジークの群れに解散を促してからその広い背中の傍に侍った。

「仕掛けるのは明後日だ。」
「承知。兵は如何なされますか」
「権限を与える。山岳も踏破できる小隊を編成しろ」
「必ずや。」





 翌々日。俺とガノンドロフ様、それからゲルド小隊はさほど欠けもなくゲルドキャニオンの端からハイラル王国を見下ろしていた。
 ガノンドロフ様が一体何を思われているかは俺の計り知ることではないが、なにか思うところがあるらしく厳しく睥睨する様を俺はガノンドロフ様の横顔もお美しいとばかり思っていた。目下に見える関には丁度国王と王妃が来訪していると情報を掴んでいる。
 ガノンドロフ様はおもむろに組んでいた腕を解き、告げられた。

「ハイラル王国を、我が手に」

 号令をかければ、峡谷の隙間を縫ってモルドラジークの群れが現れる。命令は『進め』のみ。細い路をぶつからないよう進む彼らの行く先はハイラルの関。このまま押し込むことが出来れば僥倖――と、思った矢先にハイラル国王の姿が見えた。頭抜けて背が高く、聞いていたとおりなものだからよく分かった。
 浅黒い毛と長耳、人とも獣ともとれない奇妙な風体の持ち主はひとつ抜きん出て前に出る。

「あれが国王ラウル、…神の末裔と言うわりに、なんともはや…。」
「黙って見ていろ。軽率な発言は底が知れる。」
「ありがとうございます。」

 側近になるための教育を受けていないなどとは甘えだ。自身の浅慮を悔い、わざわざご指摘くださったガノンドロフ様には感謝の念しかない。
 ラウルは腕を構え、そしてゆるやかに光を放ち始める。
 遠目にはどちらの腕か判別がつかなかったけれど、構えるその背に新たにふたつ光が灯った。
 ひとつは国母ソニアだろう、時の力を以て破魔の祠なるものをハイラルの各地に据えることに貢献したと聞いている。しかしもうひとつの強い光は?その力の持ち主はラウルの体躯に丁度重なり分からなかった。
 ラウルの放つ光は一際強く輝いて、極大の光線が砂埃を巻き上げ地を走る。


「モルドラジークが全滅…?」
「今のは一体……」

 ざわ、と揺れる兵の声で俺は正気に戻り群れを、モルドラジークの群れだったものたちを見た。1匹も残さず死んでいた。とてつもない熱量に掠った岩も白煙をあげている。

「一体なぜあのような力が…」
「…あれが、」

 あれこそがゾナウの秘宝、秘石か。
 ガノンドロフ様の視線を追いかけた先にはラウルの右腕に留まって光る石があった。あれこそゾナウの力の要であるという事らしい。
 力押しをしようとするなら、きっと、ガノンドロフ様は………。
 でも、と何かを求めるように俺はガノンドロフ様の苦々しげな横顔を仰いだ。そして諦めそうになっていたのは自分だけだと悔しくて嬉しくて泣きそうになった。

 ガノンドロフ様はフ、と漏らしては口角を上げていた。
 「おもしろい」と不敵に笑んでいたから、ガノンドロフ様を信じる事の出来まいで何が側近かと歯を食いしばり決意する。
 もとよりそのつもりではあったけれど、改めてより強く想う。


「ガノンドロフ様。この身命魂全てを賭して、一生貴方に仕えたく思います。」
「好い、帰るぞ」

 ガノンドロフ様の形のよい丸耳に付いた飾りが夕陽を弾き、まさにその眼光のように鋭く煌めいた。俺は死んだ。惜しむらくは、それを書ききれる程に俺の文才が無かった事ぐらいである。その日、ガノンドロフ様大好きノートは60冊目を越した。