成り上った停滞期



 うっすらおれが感じていたように、時の流れはあいつらの仲をゆっくりと断絶させていった。
 不和は不理解に。種が芽吹くように、根が張る様に。固いコンクリですら草木は生えるが、分厚い金属の扉なんて到底割ることはできないんだから兄弟の関係は冷え込むばかりだった。


「そんなにあいつのこと嫌か?嫌い?」
「………」
「無視しないで食べろよ。薬も何も入ってないぜ?…ほら、あーん」

 警戒してか、飯も進んで食べなくなった与一にご飯を食べさせるのはもっぱらおれの役目だった。彼のすっかり窶れて肉の落ちた頬はどうにも悼ましく見え、よぼよぼの犬をなんだか想起する。まずおれが食べてみせて、で、スプーンですくっても弟くんのほっぺが汚れるだけだけれどもまあいつもの事なので、押さえつけてご飯を食べさせる。

「おれだって本当はこんなめんどくせぇことしたくないんだよ??こんなDV男みたいなセリフだって言いたくないしさ…」

 鼻をつまんで無理くり呑ませれば諦めて自分で食べ始めるからおれは器ごと渡した。もう何回繰り返しただろうに、諦めの悪いことで…あいつの言う通り『いじっぱり』だっていうのもしっかりと分かってある。空調の効くこの部屋でわざわざ凍えることもないけど、ブカついた服の隙間にはさぞ空気も通るだろう。
 冷たくなった器を受け取って、それから硬い床からけして動く気のない与一を文字通り片手間に持ち上げベッドに落とす。彼ら2人は、特に上の方は魔王城だのなんだのと言う割には内装に興味がなく、この部屋なんてはじめ白い壁に金属製の重い扉しかなかったものだから「防空壕?」とウォーカーは初め思ったし、辛うじて空調と冷蔵庫とベッドは置いて弟くんの自由意志に任せはしたけれど何も変わっていないんだった。
 おれが来れない日も当然あるが、そういう時だって弟くんは修行僧かのように白い部屋でずっと座り込んでいるから気力が凄いと思うよ。そこまで頑なになれる理由がアレの為していることを許してはいけないという実にマトモな事だっていうのもマちょっとよく分からないけど。

「いい加減に諦めたら?受け入れることは出来なくてもさ、ほら、あいつ人間初心者だから弟クンが反発してるのがよく分かんなくて戸惑ってるんだよ」
「そうかなあ…」
「………物扱いしてる節はおれにも君にもあるけど殊更与一くんは…あ?…何、…身体の一部?みたいな感じだし」
「そうかなあ…」
「いーやほんとだね。おれウソつかないよ。おれのハートの純情な部分が今話してるから嘘なんてつける余地ないのさ☆」

 そもそも真実でもなんでもなくおれの主観であることは置いといて、だ。
 こんな空間にあって常人…いや弟くんも常人かどうかは疑わしいものがあるけれどとにかく普通の人は精神を病むだろうし、彼はご飯もまともに食べないから虚弱体質と言って差し支えなくなっている。いつ兄が来てもキャンキャン吠えられるようにずっと起きてるのは普通に怖い。なのでこうして宥めすかして(あわよくば反抗期終わるよう)寝かしつけてもいる。
 …というか、

「そもそもなんであいつの…ううん、おれらのやってる事ヤなの?普通に反抗期?」

「反抗期……いや、だって。今、皆が…世界中が異能によって困ってるじゃないか。なのに、なのに兄さんは力を私利私欲で行使しているんだ。秩序をつくるために、きっと優しい力にもなれるのに…」 「のに?」
「………………自分を満たす為だけにつかっている。」

 溜息を伴って吐き出されたのはどうしようもない正論。道理だ。上の見てくれだけは繕ったわがまま坊主と足して2で割れば真人間が出来そうなくらいの綺麗事だった。でもそれじゃ足りない。
 ベッドに身を起こし組んだ手を見つめている与一は焦燥感、罪悪感、それからひとつまみの期待感に心を占められているばかりだった。ここまで心のうちを赤裸々に話すことも、ましてや相手もいなかったものだから慣れていないこともあるが、もしかしたら目の前の男…兄の友人と語るウォーカーと分かり合えるかもしれないという僅かな希望を抱いていたためである。受け答えをしている限り、彼はマトモそうだし、お兄さんの近くにいる以上多少はなにかしていたりはするのだろうけれど一般的な良識や道徳…情緒もしっかりある。
 そのうえ2人の間を何とか折衝できないだろうかと彼なりに優しくしてやっていたために、与一はウォーカーに対して話し合えば分かり合えるかもしれないという印象を抱いていた。

「そう見える?じゃあ、仮にあいつがそう在ったとして、どうなると思う?与一。」

 いつも通りのやわらかな声色でウォーカーは与一に問う。もし、兄さんが…そう、…他が為に与奪の異能を行使していたら?ならきっと、きっと――

「どうにもならないさ。君たちはきっと使い潰されて、与一くんはあいつへの人質。そして与奪の異能に目をつけた勢力に何から何まで利用され尽くして最期は無念に色塗られ死ぬ。どう?」
「――まさか、そんな。だって、兄さんは強いんだ。そんなことないよ、」
「あるぜ?君は人の醜さを甘く見てる。箱入りだから何も知らないんだ」
「違ッ」
「綺麗事だけで世界は回らない。特に今なんて正義も悪も境目が無いから酷いもんだよ。想像できるか?」
「何を。」
「そうだな…例えば、体を鉱石にする異能の持ち主が居たとする。彼女はどうなったと思う?」
「………暴行をやり過ごせるようになった?」
「生きたままバラされてシェルターの資材にされた。死罪みたいなもんだ。可哀そうに。親に売られてな。」
「――――――」

 ちなみに異能が続く限り意識はあるそうだからまだ生きてるよ☆と付け足された上に、子を盾にとられ非異能保持者に集団で囲まれ拷問をされた親の話。異形ゆえにほかの異能を持っている者に売られて殺されそうになった若者の話。それに…植物を生やせたから研究機関に誘拐され帰ってきたものは骨の一欠片だったり。人であるにも関わらず家畜か実験動物かのように交配を繰り返させられそのまま死んでいた様々な老若男女…中には子供も居たそうだ。
 徒党を組んで略奪を行うようになったものや、異能行使の無理な強制で自ら焼死してしまった男など…
 異能の有無に関わらず非道い話を、これよりずっと胸糞悪いものだってあるんだからいい加減に夢見るのはやめよう、と諭すようにウォーカーは語る。
 絶句したのか、黙ってしまった与一の骨の浮く背中を摩りこれで多少理解はしてくれるよなあとウォーカーは思った。だって、耳障りのいい綺麗事でおまんまは食えないし…おれ自身だって別にイイ奴って訳じゃないから正論は耳に痛いのである。どうでもいい事で無駄に手間と時間を取らされるのも面倒なので適当に懐柔して、それで手を煩わせることが無くなればいいなあと思い世話をしていたし、そこそこ信頼もしてくれていた?ようだから。

「どうしようもないんだよ与一。諦めてくれ。おれ達だってそうして生きてきたんだから。」
 あとちゃんと飯を食って自分で自分の世話を出来るようになってくれハナタレ坊主??????!!!

 本音をオブラートと生八つ橋に包みまくって、なるべくいつも通りの調子を保って背を摩り続ける。が、おもむろに弟くんは拳を握りしめ、それを――

「裏拳!?ヘナチョコすぎや――ああ、」
「ウォーカーさん。確かに、あなたの言うようにそうじゃないとダメだったのかもしれない。」
「お、おう…」

 顔面狙いの骨の浮いた拳は片手で容易に止められる。しかしおれが何もせずにいるのは、与一くんの決意の眼光がおれを眼差しているからだった。

「でも、だからといって今から変われないわけがない!今は結果ではなく過程にあるんだから、そうでないはずがないじゃないか!」
「それはそうだよ。そこを突かれちゃおためごかしは意味がないみたいだなァいや困った。」

「これ以上は思想の違いだね。残念だ。」




 部屋から出たあと、偶然にもヤツと鉢合わせたのでそのまま適当な部屋でソファにどかりと座り込んだ。225センチと173センチが2人で掛けても余裕がある柔らかな革のソファは駄々をこねた甲斐がある。めっっちゃくちゃ座り心地がいい……。

「んで、どうせ話聴いてたんだろ?マジでおまえ盗聴器付けるのやめなよキモいぞ。」
「誰が人間初心者だって?」
「おまえ。」

 指をさせば逆方向に曲げられあ痛゛だだだ折れる折れるそれ以上はポキッと逝っちゃうからやめろマジおま、

「僕以上に『人』のことをよぉく分かってる人間は居ないだろ?ン?」
「そっかな???」
「違うか?」
「そ、う……かなァ?……」

 わざとらしく片眉を上げて実にコミカルな動きで同意を求める様子は…ウン。やっぱり胡散くせえ!

「だっておまえ最近は嘘ついても分かるから意味ないじゃん。お世辞言っても意味ナイナイ。おれ言ってるのはぜーんぶ事実だし!」
「ふうん。まず、人の嫌がっている事、望んでいる事を把握し操るだろ?」
「うん(ダメな気がしてきた)」
「で、僕たちの目的を果たしたあとは手中に収め手駒として扱う」
「うーん(ズレてンだよなあ)」
「時に貶めたり弄んだり」
「うーーーーん…(これは紛うことなく手遅れ)」

 試しに泣いてみ?と言えばツー…とその頬を涙が伝う。キモ…と思いながらハンカチで拭いてやり、そうすれば曇った鏡の眼差しがおれを貫く。
「何」
「いや………おまえはどうして僕についてくるんだと」
「キモキモキモキモ鳥肌たった見ろこれじょって。どした?風邪ひいた?インフルなら近寄んなよ熱測れ今すぐほらもしくは生理前?」
「は?」


 おは犬神家。異能で浮かされておれは水槽に頭から(!)突っ込まされた。ちな後日風邪ひいた。感情取扱検定落第者に髪を乾かされながら、でもめちゃくちゃ据わりが悪いからこれはどういう感情…?と鏡越しにあいつの顔を見ている。目が合う。

「マジで今日どした?笑 メンヘラ?笑 そういうのマジでいいから笑 え笑 おれ明日死ぬ?笑」

 滝のような脂汗を局所的にかきながらおれは上裸のまま中央のテーブルに向き合って座る。目の前のこいつは何かを話したそうにもにょもにょ挙動不審に視線も彷徨かせている、が、おまえの事がよく分からないのは お れ も だ よ ! ! ! !



 待つこと体感数分…恐ろしいことに時計の針が動いたのは僅かひと目盛り分だ…ようやく整理がついたのかひと呼吸置いて、吐いて、吸って――

「いやはよ話さんかーい」
「…………その、ウォーカーは、おまえは。」
「おん」
「与一の次に僕に与えられたものだが」
「ン?」
「それまではどうして生きてきたんだ…?」
「オオオオ…」

 情緒三歳児化か?おじさんビックリしちゃったな…いやこの肉体は26歳だから、中身の方的な精神年齢的なね…。

「ど、どうして…?」
「だっておまえは僕に全てを差し出してくれるろう」
「はあ…」
「だからおまえは僕の為に存在している」
「おまえの存在はおれの物……ってコト?!」
「は?」
「いやごめん通じんか。忘れろ」
「待て、どういうことだ?教えろ」
「どうせ話しても理解出来ないから意味ないよ」

 ズッと砂糖でドボドボなインスタントのコーヒーを啜れ(この飲み方をするのはこいつにとってはありえないらしい)ばその辺で引き下がってくれた。ドラ〇もんなんてこの世界に無いし、そもそも前世の記憶なんだから通じないんだよなあ!

「エー、まず。いいか?」
「嗚呼」
「おれはおまえの所有物では、ない」
「?」
「おれは、おまえの、所有物とかじゃ、ないんだ。」
「?」

 じゃあ何?と聞かれても明確に答えられる訳ではないけど、おれはおまえの所有物(もの)だから着いていってる訳じゃない。
 そう言えばより一層わけが分からなそうに眉を寄せてギュッとおれを見つめる。あーまあ、でもしいて言うなら…

「おれはきっと、おまえの先導者、道を歩くもの、先の導じゃない?センパイって感じでさ。」 「センパイ…」

「そ、そ。歳下には優しくするもんだろ?そんな感じ。」



 それで本当に納得したのかは分からないが、ひとまず頷いて。それでおれはようやく服を着れたんだった。