ガノンドロフ様大好き日記vol.76




「お前、ガノンドロフの護衛にでもなるか?」

 コタケと手合わせをしている最中、たまたま訓練場に来た族長は出し抜けにそう言った。

「は…?ガノンドロフ?…ああ、例の。男児ですか。」
「そうさ、丁度妾のもとにも子が生まれたからね、どうにも人手が足りない。」
「姿をしばらく見ないと思ったらご出産しておられましたか。…かと言って、生半可な腕では却っていざという時の足手まとい。歳も近いゆえわたしですか。」

 当時、宮殿の一角であらゆる関わりを希薄に俺………わたしは育てられていた。口の堅い乳母、目付役のコタケ、族長、スナザラシのステファン。それだけで世界は構成されていたのだ。座学はもちろん武技も叩き込まれていたけれど、同じ世代の子供よりひと回りは小さい背で果敢に食らいつく様子が望ましいと族長は言った。

「わたしの様な忌み子でいいので?」

 同じ世代に生まれた100年に一度しか生まれない男児ガノンドロフ。その話は度々乳母から伝え聞いてはいた。いわく、他の子らよりも既にひと回り大きくその武技は練達した者と相違なく。肌と髪は色濃く何とも見目麗しいそうだ。ついこの前は単身で魔物の群れを壊滅させたとかなんとか…口が堅いとは本当なのか?と思っても噂話には目がないそうで、宮殿の中の出来事ばかり(どうせ関わることはないのに)詳しくなっていく。
 族長の背を追って既視感のあるけれどてんで見慣れない回廊を歩く、その開けた窓から先の砂漠を、わたしは生まれて初めて見た。道すがらすれ違う知らない人、知らないもの、知らない感情の発露。どれもが目新しいものであり、わたしにとっては見上げるほどに大きなものが殆どであった。

「あれも姦しやかなヴェーヴィに囲まれほとほと飽きただろう、お前たちにとっては…お互いにいい刺激にもなるだろうと思ってだよ。」
「わたしは…扉の向こうを見ることができただけでも過分だと思いますが」
「何れ妾らの役に立つだろう資質がお前にはあるンだ。なら必要なこったろう?精々切磋琢磨でもしなさんな、……ここだよ。入りな」


 刺すような鋭い視線。室内には絨毯に胡座をかいて瞑想しているガノンドロフと思しきものと、その傍らにコタケによく似た背格好のヴァーイがいて、つるりとした黄金仮面の下から鋭い眼差しがわたしのことをじろりと眺めていた。彼女は矮小な身に余るほどじっくりと検分して、合点がいったとひとつ頷く。

「ガノンドロフの傍に置こうと思ってね、ウメ、どうだ?」
「族長の意向のままに。ソレは例の忌み子ですか、ならガノンドロフの足手まといになることも無いでしょうに」
「…中途な腕の者ならば要らんと言っている、ましてや幼子など小間使いにすらなるまい」

 ヌっと立ち居でたる姿は乳母から聞いた話よりよほど厚みを持っていた。わたしが腕をいっぱいに伸ばしてようやく背に届きそうなくらいであるのだ。

「わたしは幼子でありますが、ならあなたも同じように幼子でありましょうや」
「よく回る口は要らんな、齢は?」
「お前と同じさ、ガノンドロフ。」
「7つになります」

 黄色の目線がわたしを見下ろす。わたしも、真っ直ぐに落とされる視線の源を見据えた。





 水脈から湧き出る綺麗で冷たい水は昂っていた心身と傷によく沁みいって心地が好い。水場は好きだ。俺の暗い湿った心根に似合っているような気がして…、密やかな共感性を持っているのだ。
 ガノンドロフ様の傷を汚れが入らないよう水をかけ丁寧になぞる。乾いた血の名残りや僅かな砂粒ひとつさえ残さないようにこそいで、それから包帯をキツくしめると流石に呻き声が漏れ聞こえた。

「……ガノンドロフ様。」

 着付けを整えている中、ガノンドロフ様の仰っていた言葉のうち1つがフッと頭の中に湧いてきた。

「――、……―――俺は、強くなりましたか」

 髪を梳かしているので表情は全くといって伺い知れない。視線の交錯が無いだけで、いつかの沈黙と同じものが俺とガノンドロフ様との間に落ち込んでいた。

「弱いままでしょうか、」


 (――あなたの役に立てるでしょうか。)

 微かに肩が揺れた。俺がガノンドロフ様の豊かな髪を纏めて結い上げるほどの時間が流れて、ようやく沈黙は破られる。

「…お前は確かに強くなった。しかし、衰え錆びついたことも事実。我が為だけに邁進せよ」
「…………まこと、有り難きお言葉。…我が身、我が未来の何もかも総てを貴方様だけの事に使い潰せましたら、どれほどが幸福でありましょうか」
「クク…であるなら、今夜、好いものを見せてやろう。今日はこのまま執務を執り行う、我の傍に付け」
「はい?………は、かしこまりました。」

 得難い主を得た、と思う。砂と動乱に覆われし砂漠は、実に貴重な…よき君主を戴いたと。そう思う。
 だって俺は、ガノンドロフ様のお言葉ひとつですっかり内心のいじましい気持ちなど氷解したのだ。このような狂言、聞かずとも、まして応えなくともよい言葉ひとつにでさえご一考くださる。俺がヴァーイにもヴォーイにもなりきれない、半端な間の忌み子だということは昔からずっと変わらないのに、重用していただけることの稀さよ。
 立ち上がった身尺は見上げるまでに大きく、キャニオンのような方だとも時折思うのだ。広い背中も大きな背も国ひとつを背負って余りあるほどに力強かった。




 地下街へと戻れば丁度入口に、コタケとコウメが少し呆れたようにして待っていた。当然だ。ただでさえ人手が足りず警備も薄いというのに長の姿まで見えないとなると、ほか部族からしてみれば絶好の襲撃チャンスなのだから警戒しなくてはならない。

「サヴァーク…。東の民の一部が襲撃に来たが鎮圧済みだ」

 もう来ていたらしい。

「サーク、俺のわがままで世話をかけた」
「本当だよ。先代様の娘がいち早く気付いてくれなんだら大変なことになっていたかもしれなかった。」
「え゛…………、アイツが?」
「噂をすれば来たね」

「…………!?」


 確かに、もう既に石壁に響く音、ヒールを鳴らして走ってくる音が聞こえてきていた。ガツガツガツガツと地面を削るような(というかおそらく抉られているだろう)足音は次第に大きくなり、そして姿がはっきりと…土煙を伴って…見えた。

「イム様〜!お元気ですか!!」
「ゲェ…出た!」

 大体、イム様って何だよ。忌み子を言いやすく可愛く呼ぶならピッタリでしょうと言っていたがそもそも蔑称を可愛く言っても意味が無いんじゃないかおぼろろろろ
 身体を持ち上げられぐるぐる回されているので目が回る上に血がのぼる。

「あなたの事を慕う健気な娘にゲエとは何でしょう、非道い仕打ちじゃないのでしょうか」
「もう25になるだろう…うっ、待て、これ以上は流石に吐く」

 酷い仕打ちというなら、俺がされた事の方がよっぽどじゃないか?…平衡感覚をすっかり失ってフラフラの身体を無理くり持ち上げて立ち上がる。ガノンドロフ様の顔は一見眉を顰めているように見えるが、少し微笑んでいるのが分かった。目眩がする。

「フフ………………オエッ…」

「…駄目だったか…」


(※割愛※)


「俺とお前の差を考えろ、無闇矢鱈に人を振り回したらこっちは相当激しく振られている樽も同じだ。熟慮して動くように。」
「はい…ふた月振りにお会いできて嬉しかったんです…」

 頭におおきなたんこぶをひとつ作って彼女は言った。ただでさえ打撲痕はじくじく痛むのに胃液で喉も焼かれて、俺の立場にでもなってくれ…いややっぱり嫌だ。ガノンドロフ様の側近は俺だけがいい!

「それは俺の知ったことではない。…ガノンドロフ様、お見苦しいところをお見せいたしました…。執務室へ向かいましょうや」
「お前は大抵愉快だな」
「ヘエッ!?え、あ…~~……ありがとう…ござい…ます?」
 笑い声をひとつ落としてガノンドロフ様は歩き出す。俺はそれに着いていく。褒められたのか、褒められていないのかは定かではなかった。…これは名誉か、いや、多分そうではないだろうな…。
 後ろから「私のお陰ですね」とか何だとか聞こえたかもしれないが、とりあえず聞かなかったことにしておいた。



 俺はガノンドロフ様に心酔しているが、かといって盲目で全肯定ばかりの信者になるつもりはない。何を言いたいかというと…

「えっほ えっほ」

[告知]
 砂嵐ガ終息二伴ヒテ 上街ヘト戻レ
 マタ 明日兵ニヨル闘技試合行ワレタシ
 以下ノモノハ参加資格ヲ有スル為
 参加スルナレバ所定ノ申シ出ヲセヨ
 ・参加資格者・
 …… ………………
 ………… …
 ……… ………
 ………


「御触れである!嵐は過ぎ去った!ゆえ帰投する遠征兵も併せて総当たりの闘技試合を執り行う!兵以外で参加資格を所有する者は俺かコタケコウメに名乗り出よ!」

 ガノンドロフ様、どうして俺の名前が参加者リストに載ってないんですか――!?
 わらわらと告知板を見て参加希望者が集まってきた。これには兵役に着いていないものでも特別手当が降りるし、兵ならば昇進への明確な足掛かりになるのだ。無論名誉もあるだろう。名前を次々にメモ帳に記す。

「側近様は参加されますか?」
「ガノンドロフ様と併せて不参加だ、次」
「おかえりなさーい!また熱い夜を過ごしましょうね…♡」
「知らん。次」
「ハァハァ……頭領様の※※※(規制)ってどのぐらいですか…?」
「わいせつ行為!不敬!」
「新族長殿と手合わせ出来るのか…」
「そこまで勝ち上がれると思うな、次」
「側近様ってやっぱりちっちゃくて白くてカワイイですよね…ハイリア人みたい…※※※を※※※※して※※※※※してから※※※※※※※(以下規制)」
「(※ゲルド語の罵倒※)」
「お久しぶりです〜側近殿〜お元気でしたか?」
「まあな。次」
「新作の果実酒です、もし宜しければ吟味くださいな」
「あい承知した、次」
「こっちでひと悶着あったって聞いたけど本当かい?」
「…コウメか。見ての通りだ。」

 俺の後ろには拘束と猿轡をして下着だけの状態で逆さ吊りにされている2人のヴァーイが居る。松明の近くに設置したから身動きをし過ぎると彼女たちは髪から燃えていくことになるから大人しくしているのだ。(それでも猿轡の下もごもごと口を動かしているのでロクでもないことを言おうとしているのは想像に難くない)
 ひと段落もしたし。これから牢屋に文字通り引き摺って行くとアレらを指しながら言えばツルッとした仮面の下からも同情の感情がありありと伝わってきた。

「難儀なこったね」
「…ほんとうに…」

 何が悪いのか?…間違いなく、この愚か者たちであることはまず確かである。
 優勝した者には族長…最も強いものと戦うことが出来るという栄誉も与えられ、前回までは一にガノンドロフ様、次に俺と並んでいたのだがガノンドロフ様は長となり俺は何故か除外されているので有力候補は限られてくる。賭けに興じる者の気持ちも少しわかるような気がした。…他人事だからこそ面白いのか、まあ…しようとまでは思わない。
 酒場の主人から貰った瓶の中にはガノンドロフ様の瞳のように蜂蜜酒がトロンと揺れ、曰く、電気の実の未成熟なものを入れてあるとかですこし黄緑の果実がプカプカ浮かべられていた。甘酸っぱいが、イチゴなどのようではなく、その上少し苦いそうで…どんな味なのか全く想像もつかない。先に一献味見、いや毒味でもと一瞬思ってすぐやめた。やはりガノンドロフ様と共に味わいたい。
 痴れ者どもを地下の牢に入れてから兵を連れ、宮殿の砂出しを行っていたが日が沈む頃にようやく終わらせられた。(ガノンドロフ様のものを除く)私室などはまだ手付かずではあるけれど、僅かな時間でここまで出来たかと共に砂出しを行った兵を労って俺もガノンドロフ様の元へと戻った。私室は手づから砂の1粒さえ残らないよう念を入れて丁寧に整えた。といってもガノンドロフ様のお部屋は先代の頃よりも大分ものが少なくなり、俺が作ったり誂えたもの、他の者からの贈答品、そういったものがほとんどで…とびきり大きな寝台(俺の部屋にあるものの数倍はあるだろう)ぐらいしか特筆するようなことがないのだ。
 松明の灯りが街並みをまばらに照らし、静月夜を小さな星が際立たせていた。遠征から帰ってきた兵たちも今日ばかりは酒場に集まって、姦しく開店の手伝いをしているのが眼下の明るさからよく解る。

 ガノンドロフ様は、階段の欄干に身を預け涼やかな月を眺めては思索をしているようだった。三日月は静かに砂の丘陵を照らし、昼の砂嵐なんて何もなかったように穏やかな空を広げている。気付かないうちにひとつ、詰めていた息を吐いて、吸って。

「ガノンドロフ様っ」

 身動ぎをしたのが、下ろされている髪の動きで分かった。重く閉ざされていた目蓋がゆっくりと持ち上がり、実に緩慢として眼差しを階段の下…声のもとへ投げかけた。眉が片方、訝しげに上がる。それは? 俺は酒瓶ともう片方のバスケットを掲げる。
 隣に侍り、俺も欄干へ座る。ガノンドロフ様はおもむろに腕を持ち上げて…俺の頭を撫でた!
「わわっ、へ…。なんですか!」

 返答はない。大きな手は片手で悠に俺の頭を覆って、厚く温かな掌が髪を掻き回す。ガシガシと無遠慮なものではなく、大ぶりな手の動きにあわせて俺の身体も揺れている。なされるがままだ。
 それは暫く続いて、やがて満足でもしたのかようやく俺の身体の揺れは止まった。

「…何でしょうか」

 俺の顔にすっと影が落とされ、その影の持ち主の腕の向かう先…月を見る。


「――好いものを見せてやろう。」